直靈に直接響く瀬織津比咩命の透明なエネルギー
アセンションライトワーカーのありおすです。
静岡県内では、2か所でしか参拝できない
瀬織津比咩命様が祀られていらっしゃる
御前崎市にある池宮神社へと行ってきました。
神社名:池宮神社
住 所:御前崎市佐倉5162
(桜ヶ池を目指して行きましょう!)
御祭神: 瀬織津比咩命・事代主命・建御名方命
御神徳:
瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)は大祓詞に現れる代表的な清め祓いの神で諸々の罪穢を祓い、
開運厄除の御神徳極めて高い。
祓戸四神の一柱で災厄抜除の女神である。
神名の名義は川の早瀬の穢れを清めるとある。
祓神や水神として知られるが、瀧の神・河の神でもある。
その証拠に瀬織津姫を祭る神社は川や滝の近くにあることが多い。(ウィキペディアより。)
事代主命・建御名方命は共に大国主命の御子神で、
事代主命(ことしろぬしのみこと)は通称エビス様と称せられ商売繁昌、福の神として、
建御名方命(たけみなかた‐の‐かみ)は武勇の神又、農、耕、水の守護神として崇められている。
由来
創祀は敏達天皇十三年(584)に瀬織津比詳命がご出現。社殿の造営がなされた。
後、栄枯盛衰が激しく平安時代初めには衰退し、社殿は大破した。
しかし平安時代中期一条天皇の長保三年(1001)社家の遠祖源朝臣信栄が社勢を再興。
室町時代に入ると駿河・遠江を領有する今川氏の崇敬を受けたが戦国末期に武田・徳川両氏の高天神城争奪の地となり、社殿をはじめ神宝、旧記、古文書の大部分を焼失。
江戸時代に神官信盛が再び興し徳川家の崇敬を受け、明治維新に至るまで地頭の祈願所となっていた。
享保十六年(1731)には正一位の神階宣示を受け、
本殿は宝暦十年(1760)、
拝殿は元文四年(1739)に、時の大宮司従四位下佐倉治部大輔源朝臣信幸が造営し、
その名を池宮天王社とも称され現今に至る。
ここの神社には、初めて行ったので
御祭神にはご挨拶だけをしてきました。
瀬織津比詳命、龍神をお呼びすると
どちらも透明なエネルギーで
直接直靈に響いていました。
通常、手から胸に入ってと言う事はあるのですが
今回はそういう感じではなく
流れるという感覚が無い位透明で
直靈が痛くなる位響いていました。
これも初めての体験。
不思議でした。
境内は、エネルギーに満ちていて
優しいとかすがすがしいとか
そういう感じとはまた違って
何か不思議な感じを受けました。
清水折戸にある
瀬織戸神社の境内とは又
違った感じです。